東京都が決めた日当が240円であったことから、このような失業対策事業で働く人々は当時「ニコヨン」と呼ばれていた(地域によっては「しったい(失対)さん」などとも呼ばれていた)。失業対策事業はあくまで当面の稼ぎ場を提供するものであって、再就職までのつなぎをするはずだった。しかし実際にはそうならず、失業対策事業はやめられなくなってしまったのだ。1960年には35万人にまでふくらみ、その後1963年には縮小の方向が打ち出されたものの、完全に打ち切ることはできず、結局1981年に約2万人の人々に一時金を支払って事業を終息させるまで続いたのである。
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一度日雇いの仕事に就くと、そこから脱出することは難しくて、結局長期にわたって続けてしまった人が相当いたということだろう。これは明らかに政府の「予期せぬ」結果だったのだ。